コンプラ旅行日記
一日目。
平成14年11月3日。はじめての一人旅に出た。3×歳になったばかりの僕は、母から6万円の借金をして、コンプラ休暇を使って、一週間程度の旅に出たのだ。計画は三月前くらいからあり準備していた。とりあえず立山に登りそこで一泊するのが、主題だった。今まで黒部ダムに行こうとして2回果たせなかった。今回こそそれ相応の準備をして事に当たるつもりで、旅館も「みどりが池温泉」を早々に予約していた。登山用品も買い、旅行荷物の大半は登山関係で占められていた。しかし、今回も目的は果たせなかった。
出発した紀州路快速の中ですでにその予兆はあった。東岸和田で激しい雨が降ってきたのだ。案の定“サンダーバード”に乗って一時止んでいた雨が、敦賀あたりから再び激しくなってきた。富山駅を降りると雨は降り続いており、吐く息が白くなるほどの寒さだった。
地鉄の切符売り場に行くと案の定、アルペンルート通行止めの簡単なA4の紙が一枚貼られていた。売り場の女性に明日の運行予定を聞くと、彼女は無愛想に分からないと応えた。幾分風邪気味だったこともあり、僕は駅から一番近い地鉄ホテルに宿を取り、とりあえず明日を待つことにした。テレビの予報では、翌日こそ今回の荒れ模様のピークだということだった。窓の外では雷の音が聞こえていた。
二日目。
予想に違わず、朝から雨で寒かった。地鉄の駅に行くと昨日の紙の日にちだけがボールベンで直されてそのまま貼られていた。天候の回復を待つより、もう一つの目的である東北へ行こうと移動することに決めた。とりあえず“北越”という特急で、新潟に行った。2時間半くらいの予定であったが、越後長岡付近の大雨のため結局1時間余分にかかって、雨の新潟駅に着いた。新潟市は富山市よりさらに大きい都市だった。夕方近くで雨も降っていたため、電車に乗るのは景色が見えずおもしろくないと思ったが、次の日からの観光に期待して、“いなほ”に乗って秋田に行った。3時間半で21時前に秋田についた。小雨が降っていたが富山・新潟に比べて特に寒いとは感じなかった。小一時間ビジネスホテルを探して、結局駅の横の高いところに泊まった。結局、二日たって一つも観光していなかった。
三日目。
旅に出て初めて晴れ間を見た。
男鹿線に乗った。走っているところの景色は特に特徴のない景色だったが、電車に乗っているお年寄りの話し言葉は、さすがにこの地方の言葉だった。しかし、ここに限らず、何処へ行っても中年未満の風俗はどこも同じようなものだと感じる。
一時間ほど乗って、終点の男鹿駅に着いた。そこからなまはげが見れる真山神社までは一日6、7本しかないバスに乗る。安全寺行というバスに1時間ほど待って乗った。乗客は十名弱、ほとんど70以上の老人だった。乗車してまず最初に運転手からどこまでと聞かれた。あまり慣れないが「真山まで」と答えると、歩かなければならないので大変だといわれた。すると突然後ろにいたおばあさんが、横にきて気をつけて登れと訛りの強い方言で言ってくれた。この旅に出て初めて聞く地元の人の言葉だった。同じところ行ったりきたりするバスに乗って、小一時間程度真山に着いた。ここからはまっすぐだといわれて、アスファルトの上り坂の下でおろされて、バスは左に曲がって去っていった。
時々みぞれ交じりの小雨が降る中を、道を登っていくと小さいお堂があった。中年の夫婦が先にお参りしていた。ガイドブックにもあった壁天井が小さいお地蔵さんで埋まっているところだ。中に入るには靴を脱いでスリッパを履くだけだったが、お参りだけして再び坂道を上っていった。真山神社に着くと誰も参拝者がいなかったが、一人石段を登っていくと本殿の下で巫女さんがお守りを売っていた。帰りがけにお守りを買った。
次に向かったのは民謡伝承の館。古い農家を移築した中で、なまはげの実演を見た。おもしろかった。この厳しい地方で語り継がれてきた背景を感じながら、ただただ、観光客相手の洗練された様式に感心した。次に隣のなまはげ館に入った。入り口の受付のお嬢が美人だった。この茶髪の娘も子供の時はなまはげに脅かされて泣いていたと思うと少しおかしかった。
近代的な展示館としてのなまはげ館も、この手の記念館にしてはよくできていた。人が少ないから特にゆっくり見れてよかったのか、またきてみたいと思った。
今晩泊まる男鹿温泉のホテルまで間、乗ったタクシーの運ちゃんがおもしろかった。この方も長いこと地元でなまはげとして活躍したそうだ。
食事については、生まれて初めてきりたんぽを食べた。なかなかおいしいと思った。
最後は一人で寒風吹く中で露天風呂に入った。痛快な気分だった。
四日目。
朝8時過ぎのバスに飛び乗って、羽立駅に向かった。バスの中は例によってお年寄りばかりだった。観光客が誰も乗っていないのは、みんなタクシーだからだろうか。
寂しい感じだが、ちゃんと駅員のいる駅から四両連結の電車に乗って秋田駅に戻り、秋田新幹線「こまち」で田沢湖へ向かった。この新幹線珍しいことに、秋田-大曲間を逆に走って、そこから先は普通に前に向かって進むという変則的な運行だった。一時間ほどで田沢湖駅に着き、駅前のバスターミナルから乳頭温泉行きのバスに乗った。途中、田沢湖があったが見るだけで通り過ぎた。
田沢高原国民休暇村は予想に反して、きれいなホテルだった。チェックインまで時間があったためフロントに荷物だけ預けて、乳頭温泉各湯共通クーポンを千円で買って、歩いて最初の温泉に向かった。20分ほど白樺の雪が道の脇に積もった中を歩くと黒湯温泉に着いた。受付の無愛想なおっさんにクーポンにスタンプを押してもらい、混浴の露天風呂に向かった。粗末な靴箱には女物のブーツと、男物の靴が両方あった。濡れた板の上で靴を苦労して脱ぎ、小屋中にはいると裸の娘がバスタオルで体を隠して目の前に立っていた。突然のことだったのですみませんといって前を通り過ぎて、これまた粗末な脱衣場の端へ行って、体を拭いている娘の方を見ないようにしながら、服を脱いでいると、湯船からその娘の彼氏があがってきて、隣で服を着だした。何とも言えない気まずい思いをしながら、二人を残して、外にある露天風呂に飛び込んだ。みぞれがちらつく谷間に白く濁った湯船があった。さっきの一件がなければしみじみと山の秘湯気分に浸れたろうに、なんとも気が動転してしまった。そういば、ネットでも混浴に入っている女は、ばあさんかカップルだけだとあったが全くその通りだった。まぁ、これも東北の混浴文化なのだろう。次の客がきたので、早々にそこを引き上げ、雪の小道を滑りごけそうになりながら、次の孫六温泉に降りた。これもまた、谷間に張り付くようにある雰囲気のある温泉だった。昔からの長期間の湯治客相手の温泉であるようだった。しかし、風呂も質素この上ない風呂で、入っているのは誰もいなかった。土蔵か納屋のような小屋の中に入り、蜘蛛の巣のはった風呂につかるとえらくぬるかった。そとの池のような露天に入ってみたが、これも輪をかけてぬるかった。小屋の庇からつららが下がっており、うっかりしていると入浴中に落ちてくるのではないかと思いつつ、早々に風呂をあがった。川沿いを下りながら10分ほど行くとアスファルトの県道があり大釜温泉があった。しかし、さらに奥に進み蟹場温泉に入った。露天風呂はやめて、内風呂に入ったのだがここの湯は熱すぎて、入れないまますぐに退去した。そして、道を戻り大釜温泉に入った。ここは男女別になっており、ここでゆっくり露天を楽しんだ。
夕食はバイキングだったが、これはおいしかった。
洗濯後、風呂へ行くと誰もいなかったので三度、露天風呂を楽しんだ。夜の闇の中に消える白樺の幹を見ながら、何となく疲れを感じた。
五日目。
国民休暇村の朝食バイキングもおいしかった。8時50分のバスに乗り、田沢湖駅前のバスターミナルへ下る。天気は回復の方に向かっているようだった。駅で小一時間ほど待ち、盛岡行きの小町に乗った。紅葉の中を電車は進み盛岡駅に着いた。初めての盛岡はなんか今までいた日本海側より、人間がより田舎っぽいというものだった。若い学生たちの言葉にも方言が強かった。半時間ほど待って花巻行きの東北本線普通に乗った。一時間ほどで花巻駅に着くと、駅前のモニメントが、時刻にあわせて透明感のある音楽を流していた。宮沢賢治の作品イメージに合わせた音楽のようだった。駅前は特に何もなく、スポーツ用品店が駅の真ん前にあった。ハーフの子供を連れた母親と老夫婦の会話を聞きながら2,30分待って市内巡回の小型バスに乗った。どこまで行っても100円らしい。イトーヨーカ堂前とか、イギリス海岸とかを通って20分ぐらいで、宮澤賢治記念館のある丘の麓に着いた。そこからは車道を10分ほどきつい登りが続いた。何とか駐車場までたどり着くと、かなり汗をかいていた。駐車場のはずれの山猫軒でハヤシライスを食べて、一息ついた。食べているとき気づいたのだが、宮沢賢治の作品イメージの音楽が鳴っていた。支払をするときレジの脇を見ると宮沢賢治のイメージCDが売られていた。これは買わねばと思った。宮沢賢治記念館の外観は特に賢治風というわけでもなく普通の建物だった。中にはいると丁寧な受け答えの感じのいい女性事務員がいて、荷物も事務所で預かってくれるという。早速リュックを下ろして館内を見て回った。最初は賢治の人生のパネル展示だ。見たことのある写真ばかりだったが、改めて妹の履歴等を見てかなりの秀才であることが分かった。何となく妹は幼くして死んだと思いこんでいたが、実際は24歳ということだった。あとうれしかったのはかなりの原稿が展示されていたことだ。特に夕べホテルで読んだ銀河鉄道の原稿は興味深かった。また、あまり字がうまくないところに親近感がわいた。パネル展示の最後の方で死ぬおそらく3,4年前の写真も展示されているのだが、そこにはよく本で紹介されている、グリっとしたイメージはなく、別人のような顔になっていた。その変貌ぶりが衝撃だった。CDを買って記念館を出て、すぐの階段を下りて花の庭園を見ながら下っていたが、ちょうど花の植え替え時期で、ただの土があるだけだった。記念館のある山自体、遊歩道として整備されているようだった。木々の紅葉は見事だった。降りきるとイーハトーヴ館があった。無料とあったので入ってみた。映画なんかもやっていて、申し込むと見れるらしい。次は童話公園へ行った。賢治の童話をモチーフにした公園とあったが、真ん中で大きい工事が行われていた。将来的には巨大娯楽施設にするのだろう。今あるのは、賢治の学校と教室のみ。学校に入ると立体的な賢治作品の展示がありそれなりに楽しめた。教室の方は賢治の作品というより、自然観察教室といった趣だった。宮沢賢治が自分の作品をどのようにイメージしていたのかもう誰にも分からないが、いろんな解釈で拡大する宮沢賢治作品宇宙はこれからどのようになっていくのだろう。ディズニーのようになっていくのだろうか。
私自身は、宮沢賢治の人間や思想がどうだったかより、作品自体が問題なのであとのことはどうでもいいことだが、これは地方ぐるみで行われている一種の同人的なパロディーといえるのかもしれないと思った。
バスに乗って新花巻駅へ行き、遠野行きの電車に乗った。日は暮れており暗闇の中を走りながら、銀河鉄道を想像していたが特にびっくりするような景色にもあたらず、一時間で列車は遠野に着いた。予約したホテルが分からず、道を歩いているおばさんに聞くとえらく親切に教えてくれた。観光地化されていない地方の良さだと思った。
六日目。
今までのパターンと違って、朝はまず観光から始めた。まず、駅まで戻ってロッカーに荷物を入れて、駅前でレンタルサイクルを借りた。感じのいい娘が貸してくれたには3段変速のママチャリだった。それに乗ってまず遠野市博物館へ行った。中では遠野の歴史や歴史が展示されており、中でも昔話のスライドがおもしろかった。語り口の中に何とも言えない懐かしさがあった。次は民話館へいった。そこで民話の実演を聞いた。あいにくお客が私一人で申し訳なかったのだが、話し手のおばあさんはいやな顔をせずに昔話をしてくれた。聞く方としても一人なので、うなずきつつ真剣に聞かねばならなかった。カッパの淵に住んでいたカッパの話で、いたずらして村人に殺されそうになったが、住職に助けられそのお礼として寺の火事を消したとういうものだった。かなり訛りがきついので、六割程度しか理解できなかったが、私一人のために話をしてくれたのだから、丁寧にお礼を言って辞した。次は4キロ程離れた伝承館へ自転車でむかった。小雨がちらつき寒さが増してきたが30分ほど自転車をこぎ伝承館につく頃には雨脚は強まっていた。朝食も食べずに自転車をこいできたので、着いてすぐに昼食にした。出てきたのはうどんのだしにきりっぱなしが入ったもので、マイタケの天ぷら共々おいしかった。伝承館では昔の農家を見学し、その後自転車でカッパ淵を見に行った。寺の脇の小川にそれはあったが、カッパが住むにしては浅すぎる川で、語り手のおばあさんが言っていたが、今ある川は何十年か前に移設されたもので、昔の川はもっと深く流れも強かったらしい。再び自転車で傘を差しながら駅に戻り、電車を待っていると雨で冷えたのか気分が悪くなってきた。旅の疲れもでているのだろうと思い我慢して、三時頃の電車で盛岡へ戻り、さらに一時間後青森行きの“はつかり号”に乗った。二時間半で青森駅に着いた。
この旅ではいいものを全然食べていなかったので、何かないかと思ったが結局ホテル横の大衆食堂に入ってさしみ定食を頼んだ。これが大正解で刺身の量も多く、味もよかった。日本酒の熱燗と一緒になかなか満足した夕食となった。
七日目。
最終日。ビジホの付いていた朝食を済ませて外に出ると今にも降りそうな天気だった。バスステーションに行くと八甲田山行きのバスまで少し時間があった。老夫婦や一人旅の人とか、北海道のケーブルテレビ取材班の3人組とかが一緒に観光バスのような定期バスに乗り込んだ。青森市内から八甲田山のロープウェイ乗り場までは1時間ほどだった。山を少し登るともう雪景色になっていた。途中のトイレ休憩では売店前に自由にとれるお茶があり「一杯飲むと100日寿命が延びる」とあった。
八甲田山ロープウェイ前では4人がおり、ほかの客は十和田湖を目指して去っていった。ちょうど職員旅行かなんかの団体が来ていて一緒に大きなゴンドラに乗り込んだ。すばらしく見晴らしのよいロープウェイだったが、5分ほど進むとガスに包まれて視界は閉ざされた。10分程度で山頂の駅に着いた。外はすごい吹雪で、普通の格好の団体客は1分と外にいられない有様だった。私は他の客より冬支度していたので大丈夫と高をくくっていたのだが、外に出てすぐに後悔することとなった。なにせ目を開けていられないのだ。ものすごい吹雪の中で顔に当たる雪は痛いし、耳はちぎれそうなほど痛かった。当初山頂の半時間程度の遊歩道を歩くつもりだったが、雪が積もってどこが道なのか全く分からなかった。唯一地元のスキヤーのおっさんだけが、ひとり板を携えて雪の中に消えていった。私は無理をして駅の建物から10メートル程度進んだが、そこで雪を踏み抜いてこける始末で、身動きできなくなるのではないかと恐怖を感じていた。
あきらめて駅に戻り帰りの便を待つ間、ボーダーの若者があがってきていたが、彼らも外に出るのを躊躇していた。帰りのゴンドラは空いていて、ほとんど何も見えないまま下の駅に戻った。少し待つと青森市へ帰る定期バスがきたので乗り込んだ。不思議と若い女性のお客が多いバスだった。途中、キャンピングカーと自動車が事故を起こしていた。下ってきたセリカがセンターを割って、キャンピングカーに当たったらしい。来た道はすっかり雪が積もっていた。
駅前までは戻らず、途中で降りて宗方志功美術館へ行った。思ったほど大きくない美術館には、小学校の図画か絵本で見たような版画が飾ってあった。土曜日だったがあまりお客は入っていなかった。何となく見ていて、思ったのは年を取って作ったものより、40歳くらいまでに制作した白黒の版画の方がすばらしいと言うことだった。円熟とは言うが何事も程度があるということだ。
次は青森県立博物館へ向かった。小雨が時折ちらつく天気の中半時間ほど歩いてくだんの建物に入った。例によって“平山画伯”の展示会がされていて盛況だった。私も平山展の入場者の方へひっぱって行かれそうになったが、博物館の方だというと冷たくこっちではないといわれて、目立たないカウンターを示された。300円程度の入場券を買い、入館すると広いスペースに、縄文から近代に至るいろんな展示がされていた。遮光機土偶を目的に行ったが、土偶自体は目立たないガラスケースの中に他の展示品と一緒に展示されていた。変にきれいだったのでレプリカかもしれないが、一応の満足を得た。あと展示では白神山地の動物の剥製の展示がおもしろかった。白鳥もあったが、かなり大きい鳥だった。
とりあえずの目的を果たしたので青森駅まで徒歩で戻った。昨晩食べた店屋でラーメンと親子丼を頼んだ。私と同じ年頃の店員がいろいろ話かけてきて親切にしてくれた。
それから飛行機のチケットを買い、本数の少ない空港連絡バスを待って、夕暮れの頃青森空港に着いた。満員の伊丹-青森便に乗り、めずらしく窓際の座席から夜の大阪の夜景を見た。道路が光の血管のように暗闇に浮き出ていた。気圧変化で耳が痛いにもかかわらず、窓の外の景色に夢中になった。
そして、飛行場に着くと今回の旅は終わった。
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